文鳥たちとの暮らし

一人で文鳥たちと過ごしています。文鳥達の写真と記録、思ったことなどを書いてる日記みたいなブログです。

切られていた羽

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キューのがあると思うけど、誰の羽なのか記憶があやふや

(ゆたかの羽ではないです)

 

てつの時は、こんな羽を見つける度に小躍りしてましたし、その時はクリッピングされていたのがてつだけだったから、記憶が…

なんてことはなかったけど

 

今まだ切られている羽が残っているのは、

ゆたか、もも、パーチ、ニーム、ラテ、もも、チョコ、キュー

 

ゆたか以外は順調に抜けていってるし、どんどん飛べるようになってるから、抜けてる羽を見つけても狂喜乱舞なんてことはないです。ゆたかの羽ならば別だけど

 

ふと思ったのは、

抜けた羽に嬉しさを感じるのは何故?

次の羽が生えてくることがわかってるから?

喪失とか別れとか

そんな気持ちにならないのは何故?

 

抜けた羽と同じものが生えてくるわけじゃないよね

 

変化に喜びを感じることもあれば、

変化に苦しさを感じて、受け入れることができないこともある

 

ただ変化してるだけなのに

変化しないものはないはずなのに