のりと文鳥たちとの暮らし

一人で文鳥たちと過ごしています。文鳥達の写真と記録、思ったことなどを書いてる日記みたいなブログです。

寂しさの反対って、もしかして愛なの

https://youtu.be/Ubv03YbTjRY?si=O1_Kf8dddTE8Pfx6

みんなの名前と性別年齢を入れて作りました

 

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これは、うちの最年長わさびです

 

今の私はこんな考え方に変わってきたよ

そんなことを書いてみます

 

長い長い苦悩の人生ですね

表面的には普通にしてるんだと思う

それにたぶん外から見ると、特に何もない暮らし方をしてると思う

私の考えてるだけのことかな

いつもいつも心の中には何かありました(何?)

 

うまく言葉にできずにきてました(今もですね)

そもそも何でなのかがわかってないのです

 

少しだけ、そうだったのかって思ったのです

 

私の苦悩で大きいのは、寂しさだったように思います

特に何かあるわけでもないけど

いつもどんよりと寂しい気持ちがあるみたい

 

秋になると寂しい

誰かといても寂しい

楽しいことをしていながらも寂しい

何かの病気でしょうか😅

 

ここ何年かは、くーがいなくなって寂しい気がしてますが

違うかもしれません

くーがいた時だって寂しい気持ちがありました

 

寂しい気持ちを誤魔化そうとしてきた人生だったような気がします

何かに依存しているのもそうだったかも

アルコールもそうだったのかな

何度か書いてますが、私は飲んでもビール350ml1本でした

アルコールに依存してるって言えば、大酒飲みだと思われるのではないかと気にしての言い訳です

活字中毒だったのは、暇つぶしか答えを探してたからだと思います

今じゃない自分、幸せな自分になるための答えかな

 

今の私はアルコールやめました

老眼近眼のせいもあるかな?本を買わなくなりましたね

それでも読んでない人に比べると読んでる方だと思います

 

本当によく出かけてましたし、人に会ってました

 

勉強ばかりしてたかな

今の自分ではダメだと思ってたからだと思います

 

最大級の依存は、子供ですね

子供が社会人になって、別に暮らすようになり、年月が過ぎて

徐々に我慢できるようになってきました

何に?

過干渉かな

何でも知りたい、もっともっと一緒に過ごしたい、会いたいetc.

これがなくなったのではないですが、我慢できるようになってます

 

子供が近くにいないから寂しい

これも違うように思います

 

子供が幼い頃も、いつも一緒だった時だって、私は寂しかったのですから

 

この寂しさをもてあまして、色んな人に聞いてみましたよ

「秋って寂しくない?」とか

同意してくれる人は、あまりいませんでしたね

 

私のように意味不明な寂しさを感じないのは

「忙しいからだと思う」と言われることが多かったかな

確かに私は暇だったかな

 

でもね

暇だから寂しさを感じるわけでもないかな

今の私、自分最高に忙しい😅

でも寂しいよ

 

寂しい気持ちを何とかしようとしてきたけど、無理でした

外側のもので何とかしようとしてきたけど、無理です

やっとこれはわかりました

 

ここ何年かは外側では無理だとわかってきてましたから、

スピリチュアルの方向で何とかしようとしてました

 

今やっとわかったみたい

これも同じです

外側に求めてましたね

 

今日ふと思ったのは

寂しいならば、その寂しさを感じてみようって

寂しさと一緒にいようって

 

私、自分の感じる寂しさを否定してたんですね

感じるんだから仕方ないよね

長い間無視してきたんだね

そんなこと思ったのです

 

何十年も追いやろうとしてきた寂しさ

結局何ともならなかった

これからも何となる方法を探すの?

いや❣️やめます

寂しい気持ちを受け止めてあげようと思います

 

まだできてないけど、そんなことを考えてました

 

そしたらね

 

私はなぜ寂しさにとらわれてるのか

 

寂しさの反対って何だろう?

寂しくないだよね

それ以外の言葉だと何?

楽しい?幸せ?賑やか?う〜んどれもピンときません

 

これもふと思ったことです

愛かも

 

私は愛って言葉は好きじゃなかったです

恋愛とか?色々なこところで使われてる愛

私には違和感みたいなものがありました

別れもあるし、苦しいこともある

そんなのを愛って言うの?

わかってないけど、何となく好きな言葉ではなかったし、使わなかったと思います

 

今の私は、愛って言葉が好きです

わかってないのは変わらないけど

 

私は幼い頃から愛にこだわってたんだと思います

愛を見失ってたから寂しかったように思うのです

 

なぜ知らないことなのにそこまで?

知ってたからだったのかもしれません

 

今の私ができる表現だと

全てのものが紙粘土で

それは愛でできてる紙粘土で

それを使って全てのものがつくられてる

だから全てのものが愛

 

もともと愛の紙粘土で、みんな同じもの

紙粘土は作り変えることができるよね

形が変わっても、なくならないよね

 

私はそんなことを知ってたから

今の世界で、愛が感じられないことが寂しかったんじゃないかな

 

私が幼い頃から生き物が好きなのは

愛からつくられてることを、見失ってない存在だからかもしれない

 

こんなことをふと考えたんです

正解かどうかなんてわからないです

また何か違うことを思うかもしれません

 

寂しさを嫌悪して拒否するのはやめます

寂しさを愛おしい気持ちで受け入れてみます