文鳥たちとの暮らし

一人で文鳥たちと過ごしています。文鳥達の写真と記録、思ったことなどを書いてる日記みたいなブログです。

甘えたい、愛されたい、癒されたい

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阿部敏郎さんのブログの記事を読んで思ったことです。

 

私は、そんなこと考えてこなかったな。

 

長女だったからか?母が、子どものころ癌でなくなってたからか?

甘えずに生きてきたように思います。

 

「甘えたい、愛されたい、癒されたい」とは?ピンときません。わからないです。

 

文鳥のことを話すと、

 

「癒されるでしょう」と言われます。

「寂しくないでしょう」とも、

 

違うのです。

 

私は今、根拠なく幸せで、あんなに感じてた寂しさも、あまり感じなくなってます。

 

そうなってから、文鳥と縁ができたんです。

 

幸せな私の所に来てくれたんだと、思ってます。

 

阿部敏郎さんのブログを読んで、特に、「甘えたい、愛されたい」の言葉が、心にきてます。

 

私は、甘えたかったのかも

でも、甘えかたがよくわからない。

 

文鳥達ですが、甘えてきます。

もしかしたら、そんなこと考えてないかもしれませんが、

 

甘えかたに遠慮ないです。

 

甘えるとは、こういうことか?

 

愛😓

これが今でも、わからない。

愛するって?

愛されるって?

 

歌や小説や映画など、愛みたいなことが、たくさん表現されてますが、

よくわからない

 

いい子だから、かわいい(愛される)

頑張るのは、疲れました。

 

それが、

文鳥達と暮らしてきて、愛を考えるようになってます。

 

止まり木に持っていけそうな大きさのサラダ菜を選んで、農薬とか大丈夫かな?と、念入りに洗う。

 

そんなとき「愛するってこういうこと?」と、ふと思います。

 

元気でいて欲しいから、喜んでいるみたいだから、

私がしたくてしていることで、していることが嬉しいのです。

 

私に感謝して欲しいとか、食べ方が悪いとか、考えません。

 

今、愛するという行為を練習できるのは、練習相手の愛される存在がいるからかな。

 

野菜を洗うとか、そんな簡単なことでいいなら、愛することが得意になりそうです。

 

自分がやりたいことで、愛する行為を練習していく。

これをミスると?犠牲になっていると感じてしまいます。

 

今、思うのは、

私も、たくさんのものに、愛されていたのかもしれないな

気がつく力がなかっただけで、

 

愛することが得意に、なってくると、

愛されていることに、気づくのも、得意になるのかもしれません。

 

これは、幸せな毎日ですね。